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2014/07/01

長編コラム:些末な政府の集団的自衛権議論が触れないこと⑫「自衛戦争」はどこから「侵略戦争」になるのか

もう一つ、「自衛のための戦争」を考える上で避けてとおれない(が、国内の議論ではまったく捨て置かれている)問題がある。

一国にとっての自衛の戦争は、相手国にとっては侵略戦争になりかねないということだ。

第二次安倍内閣の発足当初、安倍首相は国会答弁で「侵略」に関する国際法上の定義は確立されていないと答え、国際的に物議をかもした。国連総会決議3314をはじめ、日本が批准している国際刑事裁判所ローマ規程においても国家の犯罪としての「侵略犯罪」の定義は確立・合意されているからだ。

国連総会決議3314は拘束力のない総会決議ではあるが、その後の数々の国際協議を経て慣習国際法上もっとも確立された定義として合意され、2010年6月、国際刑事裁判所ローマ規程の再検討会議にて初めてその定義は122カ国により成文化された

この時の会議、カンパラ会議には、国際刑事裁判所規程の締約国である我が国日本の政府代表団も当然ながら参加していた。

日本政府はこの中で、驚くべきことに、侵略の定義とその罰則手続きについて、しぶしぶ賛同するという消極的賛成の姿勢を見せた。つまり、コンセンサスによる採択を阻害することはないが、積極的に賛成するものではないことを国際社会に表明したのである。

「極めて不承ながら、各国代表団が本改正案を現行のまま支持するというのであれば、日本政府はコンセンサスを妨げることはしない。」
— 小松一郎政府特別代表 (2010年国際刑事裁判所ローマ規程再検討会議にて)


現在、この改訂ローマ規程には14カ国が批准を済ませており、これらの国に対して国際刑事裁判所は「侵略犯罪」に対する管轄権を行使できる状態となっている。


我が国日本は、まだこれに批准しておらず、また当面批准する予定はないだろう。

2010年から4年が経過し、武力行使権限の拡大を図る第二次安倍内閣下では、国際的な履行責任のためにこの改訂に批准する可能性は低いとみられている。

が、そうした我が国の事情とは関係なく、遅くとも2017年には、「侵略犯罪」は国際刑事裁判所が裁ける国家の犯罪として成立する。そうなったら、責任履行を迫られるのは我が国の国家指導者や軍幹部だ。

「侵略犯罪」はあくまで国家の最高指導部において、侵略を企図する計画や実行が指揮されたか否かが問題となる。国家の立案した作戦に従って任務を遂行した兵士は罪には問われない。

かわりに上官責任が問われ、それは計画の実行者よりも、「侵略犯罪」を形成すると知っていて計画を行い、これを「実行させた」指揮官の責任を意味する。つまり自衛隊の場合は、最高指揮官=内閣総理大臣である。

いかに個別的・集団的自衛権の衣を被ろうと、その行動が「侵略行為」を構成するものであり、それを知りながら国家指導部がこれを指導したのならば、2017年以降は国家はその犯罪を問われることになるのである。このことに対する物理的・法制的・精神的・教育的備えが、この国はできていない。

いくら我が国が独自の武力行使三要件を持ち出して、「我が国の法制ではこれは正当な武力行使である」と主張しても、国際刑事裁判所に付託されればその正当性は国際法に照らして判断される。しかも国際司法裁判所のような強制力の「勧告」では済まない。国際犯罪に問われるのである。

果たして、この国の安全保障の中枢を担う、国家安全保障会議を始め、政府安保法制懇、連立与党首脳は、このことを認識しながら、集団的自衛権に関する議論を行ってきたのだろうか。大いに疑問であると言わざるを得ない。

まず政府首脳が「侵略」の国際法上の定義を知らないのだから、その教育から始めなければならない。

この国の国際法治概念は、おそろしく稚拙なレベルにとどまっているのである。そんな国に重大な安全保障上の決定を任せていることには「明白な危険」が存在していると、国民は自覚すべきだろう。

政府の新解釈の定義に沿うならば、日本国民こそ、現政権に対して集団的自衛権を行使すべきだろう。

洒落のようだが冗談ではない。

以上、長文のご精読を感謝します。

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